抒情小曲集

室生犀星 · 0/76

🍿 Snack Point

ふるさとは遠きにありて思ふもの。犀星の繊細な詩が胸に沁みる。

第一章 序曲芽がつつ立つ
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序曲芽がつつ立つナイ…第一章 序曲芽がつつ立つ

序曲芽がつつ立つナイフのやうな芽がたつた一本すつきりと蒼空につつ立つ抒情詩の精神には音楽が有つ微妙な恍惚と情熱とがこもつてゐて人心に囁く。よい音楽をきいたあとの何者にも経験されない優和と嘆賞との瞬間。ただちに自己を善良なる人間の特質に導くところの愛。誰もみな善い美しいものを見たときに自分もまた善くならなければならないと考へる貴重な反省。

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最も秀れた精神に根ざ…第一章 序曲芽がつつ立つ

最も秀れた精神に根ざしたものは人心の内奥から涙を誘ひ洗ひ清めるのである。いとけなかりし日のおもひでに室生君。時は過ぎた。『抒情小曲集』出版の通知を受取つて、私は、今更ながら過ぎ去つた日の若い君の姿が思ひ出される。初めて会つた頃の君は寂しさうであつた、苦しさうであつた、悲しさうであつた。初めて君の詩に接した時、私はその声の清清しさに、初めて湧きいでた同じ泉の水の鮮かさと歓ばしさとを痛切に感じた。

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君はまた自然の儘で、…第一章 序曲芽がつつ立つ

君はまた自然の儘で、稚い、それでも銀の柔毛を持つた栗の若葉のやうに真純な、感傷家であつた。それは強い特殊の真実と自信と正確さを持つた若葉だ。その栗の木は日を追うて完全な樹木の姿となつた。日を追うて君自身本然の愛と啼泣と情念の発露とが激しくなつた。かう云つては悪いかも知れぬが、私は『愛の詩集』よりも此の『抒情小曲集』に、より深い純正を感じ愛着を感じ、追憶の快味をも感ずる。

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而して君の是等の小曲…第一章 序曲芽がつつ立つ

而して君の是等の小曲を初めて発見して少からぬ驚異にうたれた既往の私自身の姿さへ思ひ出す。君も私も既に華華しかつた青春は過ぎて了つた。憶ふと今昔の感に堪へぬ。改めて云ふ。今度の小曲集こそ私の待ちに待つたものであつた。私は真に君の歓びを自分の歓びとして一日も早くその上梓の日を鶴首して待つ。願くばわが室生犀星に再び光栄あれ。八月十四日小田原にて北原白秋抒情詩信条(1) 汝の瞳孔いま微かなる運動を為す。

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空現はれたり。瞳孔全…第一章 序曲芽がつつ立つ

空現はれたり。瞳孔全く開きつくしたる時汝は甚しく羽ばたきを為す。(2) 汝は多くの人間の期待せるときに生れたることを信ず。願くば汝の上に真摯なるものの数個の批評をもつて汝の精神の糧をおくられむことを祈れ。(3) 過ぎし日の愛人をおもふこと真に雪の下の若草を思ふに似たりとつげよ。(4) 詩はわれにとつて永遠の宗教なり。(5) われ登らんとするとき崖より血しほ流れたり。抒情詩信条

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(1) 詩より詩作の…第一章 序曲芽がつつ立つ

(1) 詩より詩作の瞬間を愛す。(2) 祈れば樹の上の果実かつと鳴りて落つ。祈れば青きもの紅くなり形無きもの顕はる。(3) 瞳と瞳とを合掌す。(4) 山は静止す。そのさまざまなるものに富み胎めるかを見よ。真に生けるものの静けさを聴けよ。(5) 爾のわれの接吻をうける時つねにつねに爾の輝くを見たり。私にとつて限りなくなつかしく思はれるは、この集にをさめられた室生の抒情小曲である。

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彼の過去に発表したす…第一章 序曲芽がつつ立つ

彼の過去に発表したすべての詩篇の中で、此等の抒情詩ほど、正直ないぢらしい感情にみちてゐるものはない。それは実に透明な青味を帯びた、美しい貝のやうな詩である。そしてそのリズムは、過去に現はれた日本語の抒情詩の、どれにも発見することのできない珍しい鋭どさをもつて居る。そしてこの詩集は、北原兄の『思ひ出』以後における日本唯一の美しい抒情小曲集である。

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かういふ種類の芸術で…第一章 序曲芽がつつ立つ

かういふ種類の芸術では、これ以上のすぐれたものを求めることは、今後とも容易にあるまいと思つてゐる。萩原朔太郎人間の手の五本の指は都ハレルムの花壇にかつて咲いた珍らしい五弁の匂ひ阿羅世伊止宇ルイ・ベルトラン君の第三の著作『抒情小曲集』が、上梓されるに就て、子供の時からの友達としての僕は、奈何なる言葉でこの喜びを表したらよいか、実にその術をしらない。

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ことに今度集められた…第一章 序曲芽がつつ立つ

ことに今度集められた小曲はみな其当時にとつてお互に感銘の深いものばかりだ。君の詩のよいところは、敏感な美しい繊細な感情が概念的でなく、全くリズム的に本当と力とにあらはれてゐる所にあるのだらう。これを読んだ人人に本当に美しいよい感情を移植する所が一番貴いところではあるまいか……。七月十七日田辺孝次雪のしたより燃ゆるものかぜに乗り来ていつしらずひかりゆく春秋ふかめ燃ゆるもの

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自分は五月ころから原…第一章 序曲芽がつつ立つ

自分は五月ころから原稿をまとめ初めて七月十二日の大颱風が都の空をおそうた夕方に総ての仕事を終つた。二百篇あまりあつた中から抜いてあとは棄ててしまつた。古い雑誌や小さい紙片や破れた原稿紙の綴りから掘り出すやうにして集めて見て胸の高まる気がした。ちやうどその時連日連夜の暴風が恐ろしい颱風となつて郊外に荒れ狂うた。小さい庭のダリーヤ・日まはり・菊などを微塵にしようとした。

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第二章 一丈余も伸びた日
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一丈余も伸びた日まは…第二章 一丈余も伸びた日

一丈余も伸びた日まはりの葉は裂けて穴だらけになつた。けれども倒れずに最後までしつかりと大地の底にしがみついてゐた。自分はこの日原稿を綴ぢあげて作曲家にてがみを書いた。そしてこの本を街に出したり友人の机上に置かれることを考へて酷く緊張した。自序私は本集に輯めた詩を自分ながら初初しい作品であること、少年の日の交り気ないあどけない真心をもつて書かれたこととを合せて、いくたびか感心をして朗読したりした。

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ほんとに此詩集にある…第二章 一丈余も伸びた日

ほんとに此詩集にある小品な詩は、恰も『小学読本』を朗読するやうに、卒直な心で読み味つてもらへれば、たいへん心うれしく感じる。このやうな幼ない「抒情詩時代」が再び私にやつて来るものでもなく、また、それを再び求めることも出来ないことを知つてゐる。人間にはきつと此「美しい抒情詩」を愛する時代があるやうに、だれしも通る道であるやうに、ほんとにこれらの詩をあつめて置きたいと思つたのも、みなここにあるのだ。

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この本をとくに年すく…第二章 一丈余も伸びた日

この本をとくに年すくない人人にも読んでもらひたい。私と同じい少年時代の悩ましい人懐こい苛苛しい情念や、美しい希望や、つみなき悪事や、限りない嘆賞や哀憐やの諸諸について、よく考へたり解つてもらひたいやうな気がする。少年時代の心は少年時代のものでなければわからない。おなじい内容は私のこれらの詩と相合してそして、初めて理解され得るやうに思ふ。

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みながみなで感じる悩…第二章 一丈余も伸びた日

みながみなで感じる悩ましさや望を追ふ心は、きつと此中でぶつかり合ふやうに思ふ。誰でも云ふ「少年時代は楽しかつた」と。 「少年は神より人間より最つと別な神聖な生物だ。」とドストイエフスキイも云つてゐる。若若しい木のやうに伸びゆく力は、ほんとにあの時代に限つて横溢してゐる。頭のよい「頭のいちばん幸福な」時代だ。いちど見たり感じたりしたら、それにすぐ根が生え、植ゑ込まれる時代だ。私はいまでも感じる。

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少年時代に感じた季節…第二章 一丈余も伸びた日

少年時代に感じた季節の変移の鋭い記臆とその感覚の敏活とは、ほんとに何にたとへて言つていいか解らない。まるで「触り角」のある虫のやうに、いつもひりひりとさとり深い魂を有つてゐるものだ。それはまだ小児の時代の純潔や叡智がそのまま温和にふとり育つて、それが正確に保存されてゐるからである。 「小児に就て人に接することを学べ小児は未だ汚されず、小児にとつては人みな同じ」とトルストイも言つてゐる。

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私は雪の深い北国に育…第二章 一丈余も伸びた日

私は雪の深い北国に育つた。十一月初旬のしぐれは日を追うて霙となつてそして美しい雪となり山や野や街や家家を包んだ。町の人人は家家の北に面した窓や戸口を藁や蓆をもつて覆うた。道のふた側に積まれた雪は、屋根とおなじい高さにまでなつて、夜は窓や戸口の雪の、中から燈灯が漏れてゐた。

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戸外運動といふものが…第二章 一丈余も伸びた日

戸外運動といふものが雪の為めに自然なくされてゐた小供の私らは、いつも室に座つたり暖炉にあたつたりして、恐ろしい吹雪の夜を送つてゐた。そのころ私は俳句をかいたりコマ絵をかいたりして、自然にたいする心をだんだんに開いてゆくやうになつてゐた。極度に人懐こい、もの恋しげな心を不断に有つてゐた私は、また一面に於ては烈しい一人ぽつちが好であつた。

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本をよんだり物を考へ…第二章 一丈余も伸びた日

本をよんだり物を考へたりしたあと、よく自分で自分が作つた甘美な哀愁にひたりながら、雪あかりのする窓際で「小供らしくない」事を考へてゐた。それが私だち少年のいつも隠れてする心の隠れ家みたいに楽しく又悲しいものであつた。四月まで続く降雪を我慢しきれないやうに、雪の下では春の浮動するものが生き初めるころは、わけても悩ましい力がからだに湧いてくるのであつた。

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私だち少年らは、おた…第二章 一丈余も伸びた日

私だち少年らは、おたがひに女の子のやうな深い情愛をかんじ合つて、かく詩や俳句の対象はいつもそれらの友に於て選んだ。美しい少年の友だちらは、ある時は、詩のことを話したりして、熱い握手や接吻をしたり、蒼い日暮の飽くことをしらない散歩をしたりしてゐた。私どもは、そこここの散歩や、草場のあたりでいろいろな詩をうたつた。風のやうにうたひながら自分でつい感心してしまつて、ほろりとするといふやうなこともあつた。

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見るものが悲しくひし…第二章 一丈余も伸びた日

見るものが悲しくひしひしと迫つてくるのであつた。あの何物にもたとへることの出来ない、弱弱しい美しいセンチメンタルな瞬間に、私どもは、自分が其処に生きることを幸福に考へ、また必然さうあるべきことが自分らの若い使命のやうに、この全世界でいちばん偉い詩人ででもあるやうに考へてゐた。謙譲やはにかみもなかつた。傲慢と自愛とにたえず圧倒されてゐて、それを当り前のやうに思つてゐた。

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第三章 それほど、世間の
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それほど、世間の本を…第三章 それほど、世間の

それほど、世間の本をよまない仲間にたいしては遠慮がなかつた。私は抒情詩を愛する。わけても自分の踏み来つた郷土や、愛や感傷やを愛する。 「くちばし青き小鳥」の囀りは可愛い。それを讃へたい。人間にたつた一度より外ない時代を紀念したい。それをそのまま次ぎに味ひつつある若い人人らの胸にたたみ込んで置きたいと思つてゐる。もとより詩のよいわるいはすききらひより外の感情で評価できないものだ。

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これらの詩がどれほど…第三章 それほど、世間の

これらの詩がどれほどハアトの奥の奥に深徹してゐるかについて、今私は何もいへないけれど、人人はきつとよき微笑と親密とを心に用意して読んでくれるだらうと思ふ。むづかしい批評や議論ぬきの「優しい心」で味つてくれるだらうと思ふ。それでこそ私がこの本を世に送り出した甲斐のあることを感じるのだ。一月に『愛の詩集』を出してからもう一年に近くなる。

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『愛の詩集』まで歩ん…第三章 それほど、世間の

『愛の詩集』まで歩んだ自分を知るにはどうしても此の「抒情詩時代」の自分をも知つてほしくおもふ。自分にもなほ美しい恋を恋したり、甘美な女性的なリズムを愛したりした時代のあつたことを物語りたいのである。ほんとはこの『抒情小曲集』は『愛の詩集』と併せて読んで、僕の心持のたてとよことに縒れ込んだリズムをほぐして見てほしいのだ。

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よく読んでくれる人人…第三章 それほど、世間の

よく読んでくれる人人は、この小曲集の終りのペエジに近づいてゆくごとに、だんだんに人間の感情がひびれたり、優しく荒れて行つたりしてゐることを考へてくれるだらう。風にいためられた生活の花と実とを今まとめて見ることを嬉しく悲しく思ふ。千九百十八年七月十三日郊外田端にて室生犀星『抒情小曲集』覚書年譜二十歳頃より二十四歳位までの作にして、就中「小景異情」最も古く、「合掌」最も新しきものなり。

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時折折の心持ちにより…第三章 それほど、世間の

時折折の心持ちによりて五年間の春秋の季節の詩は入り乱れたるも、出来得る限り年譜は正しく編しぬ。創作地郷里金沢市千日町雨宝院といへる金比羅神社、寂しき栂、榎の大樹に寺領の四方はとりかこまれ、昼なほ暗き前庭のほとり極めて幽遠なり。その奥の間よりは直ちに犀川をのぞむ。美しき清流寺院の岸を灑ひて夏といへども涼しきことかぎりなし。川を隔てて医王、戸室の山さては遠く飛騨の連峯をも望むことを得。

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野及び散歩の地として…第三章 それほど、世間の

野及び散歩の地として最も好みしは犀川べりなる蛤坂新道、下つては犀川鉄橋のほとり等。これらの地は絶えず予の若き其頃の胸裡を去来して、シーズンの移り変り目ごとには高き鼓動を覚えたるものなり。 「秋思」は有名なる兼六公園にての作にして、園の入口なる青く柔かき芝生の生えし様、其の色いまも忘れがたきものの一つなり。旅行京都、上州前橋市近郊に旅せし時の作、及び「足羽川」の一篇等なり。

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足羽川は越前福井市を…第三章 それほど、世間の

足羽川は越前福井市を流るる川なり。京都よりの帰るさにここ福井の街に約一ヶ月ばかり滞在せし事のあり、その時になれる詩にして、美しき足羽の川の土手の上の、若き桜樹はいまも尚春くる毎に花咲けりときく。なつかしき事のきはみ。旅行は凡て予が幼き日の我儘なる事より、慈愛あつき父母にそむきての事なりき。今ははや父もみまかりて世に空し。哀感極まりなし。上州前橋には三度ゆけり。ここにて予が畏友萩原を知る。

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小出磧といへる利根の…第三章 それほど、世間の

小出磧といへる利根の河畔、小さき砂山、櫟の若き林、牧牛、赤城山、公園等、皆予が心に今もなほ生けり。旅はおもしろけれどもはかなく哀し。利根の砂山、氷の扉、さくらと雲雀、土筆、前橋公園の五篇を得たり。(外になほ数多けれども収録せず)海浜海の詩はすべて金沢市より二里を隔つる金石といへる所にて作る。ここは二千戸を数へ人心すべて質純なり。町より五丁程を隔てられて釈迦堂といへる僧院あり。

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静かなる院にして有名…第三章 それほど、世間の

静かなる院にして有名なる銭屋五兵衛の墓碑あり。静かなる院にしてここのとある一室に一年有余転地療養せしことあり。院は砂丘の蔭、涼しき松林のはづれにありて、お花畑よりいでて町に通ず。予ここにてはじめて「屋上庭園」を友白秋より送らる。此頃より予が詩の心やうやく動き且つ固められたり、かへりみればもはや十一年を閲しぬ。

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世にも静かにして、優…第三章 それほど、世間の

世にも静かにして、優しく、美しき尼僧らによりて、病気の予は毎日新しき野菜と、親切にして充分なる静養を与へられたり。友萩原もまた、遠く前橋市より来りてこの寂しき僧院を訪づれぬ。時は大正四年五月のことなりし。ここにてはかもめ、海浜独唱、砂山の雨、魚とその哀歓、松林の中に座す、砂丘の上、静かなる空、水すまし等を得たり。降雪十月下旬より時雨となり、十一月終りは冷たき霙となる。

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第四章 霙となりて永き冬
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霙となりて永き冬に入…第四章 霙となりて永き冬

霙となりて永き冬に入れば漸て霰となり、雪となる。二三尺も積るは例年の事にして、時に丈余にもなる事ありて、犬等は皆屋根の上にて遊び戯る。雪降れば却つて温く、人人は夜炬燵を囲みて団欒す。雪降れど霰凍れども故郷の冬は忘れがたかり。暗黒時代小曲集第三部は主として東京に於て作らる。本郷の谷間なる根津の湿潤したる旅籠にて「蝉頃」の啼く蝉のしいいといへるを聞きて、いくそたび蹉跌と悪酒と放蕩との夏を迎へしことぞ。

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銀製の乞食、坂、それ…第四章 霙となりて永き冬

銀製の乞食、坂、それらは皆予の前面を圧する暗黒時代の作なり。幾月も昼間外出せずして終夜なる巷にゆき、悪酒にひたりぬ。その悔新しくしてなほ深くふけりてゆきぬ。今も尚思ひ見て予の額を汗するものはこれなり。或る時は白山神社の松にかなかなの啼くをきき、上野に夜明けの鐘をききては帰りぬ。合掌のあとさきはじつに病気ともたたかひし時代なりしなり。発表について

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これらの抒情詩は曾つ…第四章 霙となりて永き冬

これらの抒情詩は曾つて雑誌『感情』第二号第三号にまとめて発表したるが、その以前雑誌ザムボア・スバル・詩歌・創作等にのせたるものなり。(これらは一九一八年六月十八日の覚書なり)われら少年の日の友とみないまは寂しくかたるべし小曲集箴言一部小景異情その一白魚はさびしやそのくろき瞳はなんといふなんといふしほらしさぞよそとにひる餉をしたたむるわがよそよそしさとかなしさとききともなやな雀しば啼けりその二

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ふるさとは遠きにあり…第四章 霙となりて永き冬

ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふものよしやうらぶれて異土の乞食となるとても帰るところにあるまじやひとり都のゆふぐれにふるさとおもひ涙ぐむそのこころもて遠きみやこにかへらばや遠きみやこにかへらばやその三銀の時計をうしなへるこころかなしやちよろちよろ川の橋の上橋にもたれて泣いてをりその四わが霊のなかより緑もえいでなにごとしなけれど懺悔の涙せきあぐるしづかに土を掘りいでて

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ざんげの涙せきあぐる…第四章 霙となりて永き冬

ざんげの涙せきあぐるその五なににこがれて書くうたぞ一時にひらくうめすももすももの蒼さ身にあびて田舎暮しのやすらかさけふも母ぢやに叱られてすもものしたに身をよせぬその六あんずよ花着け地ぞ早やに輝やけあんずよ花着けあんずよ燃えよああ あんずよ花着け旅途旅にいづることによりひとみあかるくひらかれ手に青き洋紙は提げられたりふるさとにあれど安きを得ずながるるごとく旅に出づ麦は雪のなかより萌え出で

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そのみどりは磨げるが…第四章 霙となりて永き冬

そのみどりは磨げるがごとし窓よりうれしげにさしのべしわが魚のごとき手に雪はしたしや京都にてにほやかに恋ひぬれどさめゆくものはつめたかりわが心は哀憐にみちわたりもののそよぎに泪おちむとす雪の青きを手にとれば雪は哀しくなじみまつはるかばかりふかき哀憐のもよほしにいまぞ涙ことごとく流れもいでよ流離わが朝のすずしきこころにあざやかなる芽生のうすみどりにがかれどうれしや沁みきたるこよなきいそしみをもて

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青くしつかなる洋紙を…第四章 霙となりて永き冬

青くしつかなる洋紙をこそのべにけれそは巡礼のうたごゑをきくごときわがきさらぎの哀調にしてわかれむとするふるき都にとどまりもえぬ心なりああ よく晴れあがりし空のもとわが旅のをはりにや小鳥すくみごゑして消えもゆくなり木の芽麦のみどりをついと出てついともどれば雪がふり冬のながさの草雲雀あくびをすれば木の芽吹く祇園祇園の夜のともしびに青き魚さへ泳ぎ出づ青き魚さへをどるにや加茂川べりのあたたかさ

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飯もたべずにわがうた…第四章 霙となりて永き冬

飯もたべずにわがうたふ夏の朝なにといふ虫かしらねど時計の玻璃のつめたきに這ひのぼりつうつうと啼くものいへぬむしけらものの悲しさに寺の庭つち澄みうるほひ石蕗の花咲きあはれ知るわが育ちに鐘の鳴る寺の庭旅上旅にいづらばはろばろと心うれしきもの旅にいづらば都のつかれ、めざめ行かむと緑を見つむるごとく唯信ずよしや趁はれて旅すこころなりとも知らぬ地上に印すあらたなる草木とゆめと唯信ず神とけものと

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人間の道かぎりなけれ…第四章 霙となりて永き冬

人間の道かぎりなければただ深く信じていそぐなりけり三月うすければ青くぎんいろにさくらも紅く咲くなみに三月こな雪ふりしきる雪かきよせて手にとれば手にとるひまに消えにけりなにを哀しと言ひうるものぞ君が朱なるてぶくろに雪もうすらにとけゆけり足羽川あひ逢はずよとせとなりあすは川みどりこよなく濃ゆしをさなかりし桜ものびあがりうれしやわが手にそひきたるわがそのかみに踏みも見しこの土手の芝とうすみどり

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いまふゆ枯れはててい…第四章 霙となりて永き冬

いまふゆ枯れはてていろ哀しかりわれながき旅よりかへりいま足羽川のほとりに立つことのなにぞやおろかにも涙ぐまるはふるさと雪あたたかくとけにけりしとしとしとと融けゆけりひとりつつしみふかくやはらかく木の芽に息をふきかけりもえよ木の芽のうすみどりもえよ木の芽のうすみどり犀川うつくしき川は流れたりそのほとりに我は住みぬ春は春、なつはなつの花つける堤に座りてこまやけき本のなさけと愛とを知りぬ

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第五章 いまもその川なが
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いまもその川ながれ美…第五章 いまもその川なが

いまもその川ながれ美しき微風ととも蒼き波たたへたりみやこへこひしや東京浅草夜のあかりけさから飯もたべずに青い顔してわがうたふわがうたごゑの消えゆけばうたひつかれて死にしものけふは浜べもうすぐもりぴよろかもめの啼きいづる寂しき春したたり止まぬ日のひかりうつうつまはる水ぐるまあをぞらに越後の山も見ゆるぞさびしいぞ一日もの言はず野にいでてあゆめば菜種のはなは波をつくりていまははやしんにさびしいぞ

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利根の砂山風吹きいで…第五章 いまもその川なが

利根の砂山風吹きいでてうちけむる利根の砂山、利根の砂山赤城おろしはひゆうひゆうたりひゆうたる風のなかなれば土筆は土の中に伸ぶなにに哀しみ立てる利根の砂山よしや、すてツきをもて君が名をつづるとも赤城おろしはひゆうとしてたちまちにして消しゆきぬ氷の扉たちまちに雪光る山なれたちまち鳴りてはくもる山なれ四方の氷の扉ひらかれいつさいは萌えむとすこの国の草草のなよらかならむことのけふはしきりに祈らる

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この国の草草と人人の…第五章 いまもその川なが

この国の草草と人人の心ごころによきめぐみのあらむことのああ しきりにけふは祈らる桜と雲雀雲雀ひねもすうつらうつらと啼けりうららかに声は桜にむすびつき桜すんすん伸びゆけり桜よ我がしんじつを感ぜよらんまんとそそぐ日光にひろがれあたたかく楽しき春の春の世界にひろがれ土筆旅人なればこそ小柴がくれに茜さすいとしき嫁菜つくつくし摘まんとしつつ吐息つくまだ春浅くしてあたま哀しきつくつくし

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指はいためど 一心に…第五章 いまもその川なが

指はいためど 一心に土を掘る前橋公園すゐすゐたる桜なり伸びて四月をゆめむ桜なりすべては水のひびきなり四阿屋の枯れ芝は哀しかれども花園になんの種子なりしぞしきりに芽吹ききそよりもなほ萌えづるげ街のをとめの素足光らし風に砥がれて光るさくらなりかもめかもめかもめ去りゆくかもめかくもさみしく口ずさみ渚はてなくつたひゆくかもめかもめ入日のかたにぬれそぼちぴよろとなくはかもめどりあはれみやこをのがれきて

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海のなぎさをつたひゆ…第五章 いまもその川なが

海のなぎさをつたひゆく海浜独唱ひとりあつき涙をたれ海のなぎさにうづくまるなにゆゑの涙ぞ青き波のむれよせきたりわが額をぬらすみよや濡れたる砂にうつり出づわがみじめなる影をいだき去り抱きさる波、波、哀しき波このながき渚にあるはわれひとりああわれのみひとり海の青きに流れ入るごとし蛇蛇をながむるこころ蛇になるぎんいろの鋭き蛇になるどくだみの花あをじろくくされたる噴井の匂ひ蛇になる君をおもへば君がゆび

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するするすると蛇にな…第五章 いまもその川なが

するするすると蛇になる新曲あめつちの垂りぬ 垂り穂は砂山の雨砂山に雨の消えゆく音草もしんしん海もしんしんこまやかなる夏のおもひもわが身うちにかすかなり草にふるれば草はまさをに雨にふるれば雨もまさをなり砂山に埋め去るものは君が名かかひなく過ぐる夏のおもひかいそ草むらはうれひの巣かもめのたまご孵らずしてあかるき中にくさりけり魚とその哀歓うかびくるはかの蒼き魚しづかなる燐光とその哀歓との

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かくてもわがこころを…第五章 いまもその川なが

かくてもわがこころを去りえずやはらかく伸びむとする梢にはわが魚はまた泳ぎそめたりその肌に指ふれむとすれば指はこころよく小さき魚のごとし赤櫨金縞の蜂のひとつは針のにぶりを磨げりしが草を痛めて去りゆけり金のラインを空とほく引ずりて二部時無草秋のひかりにみどりぐむときなし草は摘みもたまふなやさしく日南にのびてゆくみどりそのゆめもつめたくひかりは水のほとりにしづみたりともよ ひそかにみどりぐむ

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ときなし草はあはれ深…第五章 いまもその川なが

ときなし草はあはれ深ければそのしろき指もふれたまふな永日野にあるときもわれひとりひとり、たましひふかく抱きしめこごゑにいのり燃えたちぬけふのはげしき身のふるへ麦もみどりを震はせおそるるかわれはやさしくありぬれどわがこしかたのくらさよりさいはひどもの遁がれゆくのがるるものを趁ふなかれひたひを割られ血みどろにをののけどたふとや、われの生けることなみだしんしん涌くごとし秋の日つかの間に消え去りし

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つかの間に消え去りし…第五章 いまもその川なが

つかの間に消え去りしはあきつのかげにあらざるかぐらすのごとき秋の日にかげうち過ぐるものわが君のかげにあらざるかとほき床屋のぎん鋏波を越えくるかげなるかあらずおんみのひとみよりわが眼うれひてかげを見る小曲逢へぬこのごろ秋はバツタのほねに沁みにけむ手にとりみればちからなく銀の片脛折らしたり小曲眼つむりてすみやかに君をねんじて十字をきれば熱きものひとすぢのけぶりとなりて真青の竹をのぼりゆく月草

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秋はしづかに手をあげ…第五章 いまもその川なが

秋はしづかに手をあげ秋はしづかに歩みくるかれんなる月草の藍をうち分けつめたきものをふりそそぐわれは青草に座りてかなたに白き君を見るしら雲かのしら雲を呼ばむとするものまことにかぞふるべからず飛べるものは石となりしかさびしさに啼き立つるゆふぐれの鳥となりしか十一月初旬あはあはしきしぐれなるかなかたかは町の坂みちのぼりあかるみし空はとながむればはやも片町あたりしぐれけぶりぬ十一月初旬なめくぢは樹に凍え

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第六章 樹は二つに裂けぬ
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樹は二つに裂けぬはや…第六章 樹は二つに裂けぬ

樹は二つに裂けぬはや冬のこしなり海なりは空を行くくらげ秋なればくらげ渚にうちあげられ玻璃のごとくなりて死す霜総て枯るるものは枯れたりうつくしくまはだかにやがて霜に祈らん樹をのぼる蛇われは見たり木をよぢのぼりゆく蛇を見たり世にさびしき姿を見たり空にかもいたらんとする蛇なるか木は微かにうごき風もなき白昼あらし来る前さらさらと秋はながれゆく草の上に 水の上にええてるは銀の羽虫となりきららめきつつ

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飛びかよふ震へる木ぬ…第六章 樹は二つに裂けぬ

飛びかよふ震へる木ぬれを眺むればあらしは今遠方にありて次第に近よらむとするごとしくさむらのあたりあらしの前のそよ風起り空すこしくやや動く磧ここの柴草なみにもみづる もみづるあきつを染め空とぶあきつのむれを染め山山のみねの上ちらちら雪を染めかなし秋を終らしぬ松林のなかに座す海のしづかはしら羽どり秋のしづかはしら羽どりしらはのとりのきえゆけば松の林にうづくまり松のみどりをかきむしりなじみたり

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砂丘とほくつらなりそ…第六章 樹は二つに裂けぬ

砂丘とほくつらなりそのあひまより海の青い瞳は来る海にかよひしはいつかわかねど海におびえしたまをあづけあり砂丘の上渚には蒼き波のむれかもめのごとくひるがへる過ぎし日はうすあをく海のかなたに死にうかぶおともなく砂丘の上にうづくまり海のかなたを恋ひぬれてひとりただひとりはるかにおもひつかれたり静かなる空秋の日のかたむくかたに土はおとなくしめりたえまなく空とひたひになやみてつづくただながれもあへぬ秋の中

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あをき梢はかわきゆき…第六章 樹は二つに裂けぬ

あをき梢はかわきゆきわれはおとなくねむりゆくしづかなる空と土の上に水すまし水すまし水をすましてきえにけりきえしまにあらはれわがたそがれをさびしうすみなそこになにのちからぞゆらぎてむせぶ水すましをすとめすとは離れずかさなりてなさけもふかに過ぎもゆくをすとめすとはかさなりて秋思わがこのごろのうれひはふるさとの公園のくれがたを歩む芝草はあつきびろうどいろふかぶかと空もまがへりわれこの芝草に坐すときは

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ひとの上のことをおも…第六章 樹は二つに裂けぬ

ひとの上のことをおもはずまれに時計をこぬれにうちかけてすいすい伸ぶる芝草にひとりごとしつつ秋をまつなりしぐれさむざむと大根畑に雨がふつてゐるしぐれのあめがぬらしてゆくそめてゆく遠くまでみぞ萩たでの草草にいたるまでさむざむとしぐれに濡れる微かなる音をたてて寂しき十月哀章抱き交しつつ叫びつつ日ごとに繁き光をはらむいや深く抱き交しつつわかれ芝生に霜の降りたりそらは海なりをみなぎらすもはや別れなり

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くらくして寒い冬がく…第六章 樹は二つに裂けぬ

くらくして寒い冬がくるぞよ雪くる前凍みて痛めるごとくはてしなくこころ輝き枯木のうへにひびきを起すわが君とわかれて歩めばあらはるとなく消ゆるとなくふりつむ我が手の雪をああ 君は掻く朱き葉枯木をゆすりその朱き葉を落すそのもとにわれはさりえずなみ立てる枯木は肌にしみてうつり肌は青くも冷えたり今しづかにしほらしき心立ち戻り朱き葉をふどころに去らむとすれば朱き葉はわが肌になじみえず山にゆきて

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ふくらみて青める山ひ…第六章 樹は二つに裂けぬ

ふくらみて青める山ひかり寂しき明眸の山にもひそみこがれ、こがれわたるか樹はみな精神にあつまりあをき姿になじむああ ゆめにはあらずありありと光さびしき明眸の此処にしてなほ我をとらふるすて石に書きたる詩神よ彼女おもひあがりてめ鳩のごとく小さき胸をいためてあらばはや 逢ふときをすすめたまへその通ひくる路のべにさく花あらばつつがなく暖かき光のなかにはれやかに咲かしめたまへああ 血もて血をしたたむごとく

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秋の終り君はいつも無…第六章 樹は二つに裂けぬ

秋の終り君はいつも無口のつぐみどりわかきそなたはつぐみどりわれひとりのみにもの思はせていまごろはやすみいりしか夜夜冷えまさり啼くむしはわが身のあたり水を噴くああ その水さへも凍りてふたつに割れし石の音あをあをと磧のあなたに起る幾日逢はぬかしらねどなんといふ恋ひしさぞ煙れる冬木もみづる山に朱き日は入るしづかなることわが眼はひとりかがやけり手に触るれど冬木の幹は青からずその指はただに冷えたり

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さしのぼる煙のなか消…第六章 樹は二つに裂けぬ

さしのぼる煙のなか消えむとするみじめなるわれなるかはりがねのごとき草の鳴る中そのうちにわれの消えゆく音あり大乗寺山にて寂しきいのちまもればあはれうたごゑきこゆここの山べの三部都に帰り来て眠ることなかれつねに冴えたる瞳をもて都会のはてをうち眺めどよみの中に投げ入れよつつしみ深く流れ行けみなぎる渾身の力をもてあなたに現れあらぬ方に輝きつつ輝ける街路のかたに眼もくらやみ並木にすがりみやこの海をわたり行け

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はつなついよいよ青き…第六章 樹は二つに裂けぬ

はつなついよいよ青き世界となりわれものを食まず終日はみやこの街をさまよひぬみやこの街はかぎりなくいよいよ悲し世界となりいよいよ青き世界となりなつはみどりのきぬ着けて君のころもにきぬ着けていよいよ青き世界となり蝉頃いづことしなくしいいとせみの啼きけりはや蝉頃となりしかせみの子をとらへむとして熱き夏の砂地をふみし子はけふ いづこにありやなつのあはれにいのちみじかくみやこの街の遠くより

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第七章 空と屋根とのあな
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空と屋根とのあなたよ…第七章 空と屋根とのあな

空と屋根とのあなたよりしいいとせみのなきけり並木町茫としてうつつを綴る夜霧の並木町ぬれて歩めばひややかに身は浮きあがる輝ける巷のそらに夜の並木にああ都にかへり来て再びさまよひ疲れんとするか燃えつつそそぐ九月はじめの夜の霧銀製の乞食坂を下りゆかむとするは銀製の乞食なり乞食の手にいちめんに苔が生え乞食の手にソオルは躍る乞食の眼に触るるの林檎パインアツプルの類もしくばカステイラ・ワツプルのたぐひ

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それらは総て味覚を失…第七章 空と屋根とのあな

それらは総て味覚を失ひワツプルのごときは実に甚だしく憔悴す乞食は祈り乞食は求め遠方へ遠方へ去る天の虫松はしんたり松のしん葉しんたりすがたを見せぬ日ぐらしのこゑを求めばあらぬ方よりかなかなかなと寂しきものを松のむら立つ寺の松梢をながめかなかなを求むればかなかなむしは天の虫啼くとし見れば天上にかなかなかなと寂しきものを上野ステエシヨントツプトツプと汽車は出てゆく汽車はつくつくあかり点くころ

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北国の雪をつもらせつ…第七章 空と屋根とのあな

北国の雪をつもらせつかれて熱い息をつく汽車であるみやこやちまたに遠い雪国の心をうつす私はふみきりの橋のうへからゆきの匂ひをかいでゐる浅草のあかりもみえる橋の上苗なたまめの苗、きうりの苗いんげん、さやまめの苗わが友よあのあはれ深い呼びやうをしてことし又た苗売りがやつて来たあのこゑをききあの季節のかはり目を感じることはなんといふ微妙な気になることだらう植物園にてとらへがたきザボンの輝き玻璃のうちより

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匂はしき霧を吹きあぐ…第七章 空と屋根とのあな

匂はしき霧を吹きあぐるザボンよあをき梢にむすべはなるることはなくふかくしんじつになみだもて葉の上に梢にむすべしかして真にかがやけ郊外にて寂しい心を抱いてある日郊外の田甫路をあるけり涼しい蔭つくる木のしたに旅人のやうに憩ひ旅人のやうに街の方を眺めて居たりもはや暮れ方に近く煙のぼるを見れば悲しここの都にそはぬ心をつくづく思ひしづめり室生犀星氏みやこのはてはかぎりなけれどわがゆくみちはいんいんたり

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やつれてひたひあをか…第七章 空と屋根とのあな

やつれてひたひあをかれどわれはかの室生犀星なり脳はくさりてときならぬ牡丹をつづりあしもとはさだかならねどみやこの午前すてつきをもて生けるとしはなくねむりぐすりのねざめより眼のゆくあなた緑けぶりぬと午前をうれしみ辿りうつとりとうつくしくたとへばひとなみの生活をおくらむとなみかぜ荒きかなたを歩むなりされどもすでにああ四月となりさくらしんじつに燃えれうらんたれどれうらんの賑ひに交はらず

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賑ひを怨ずることはな…第七章 空と屋根とのあな

賑ひを怨ずることはなく唯うつとりとすてつきをもてつねにつねにただひとり謹慎無二の坂の上くだらむとするわれなりときにあしたよりとほくみやこのはてをさまよひただひとりうつとりといき絶えむことを専念すああ四月となれど桜を痛めまれなれどげにうすゆき降る哀しみ深甚にして座られずたちまちにしてかんげきすある日屋根裏より手をさしのべてあはれコオヒイを呼ぶ坂街かどにかかりしとき坂の上にらんらんと日は落ちつつあり

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円形のリズムはさかん…第七章 空と屋根とのあな

円形のリズムはさかんなる廻転にうちつれ樹は炎となるつねにつねにカン※スを破りつねにつねに悪酒に浸れるわが友はわが熱したる身をかき抱きともに夕陽のリズムに聴きとらんとはせりしんに夕の麺麭をもとめんにもはや絶えてよしなければただ総身はガラスのごとく透きとほりらんらんとして落ちむとする日のなかに喜びいさみつつ踊るわが友よただ聞け上野寛永寺の鐘のひびきもいんいんたる炎なり立ちて為すすべしなければ

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ただ踊りつつ涙ぐむ炎…第七章 空と屋根とのあな

ただ踊りつつ涙ぐむ炎なりおろかなる再生を思慕することはなく君はブラツシユをもて踊れわれまづしき詩篇に火を放ち踊り狂ひて死にゆかむさらにみよ坂の上に転ろびつつ日はしづむそのごとく踊りつつ転ろびつつ坂を上らむとするにあらずや坂この坂をのぼらざるべからず踊りつつ攀らざるべからずすでに桜はしんじつを感じて坂のふた側に佇ちつくせどもひざんなる室ぬちにかへらねばならず日としてわが霊

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しほらしからざりしこ…第七章 空と屋根とのあな

しほらしからざりしことはなけれどただ坂の上をおそるいまわが室は寂としてかへらむとするわが前に鼠を這はしめんとするかああわがみじめなる詩篇を携ち悄としてされど踊りつつ坂をのぼらざるべからず坂は谷中より根津に通じ本郷より神田に及ぶさんとして眼くらやむなかに坂はあり断章さかづきを挙ぐれどもなんぞ寂しやみやこやちまたに道パンを求めゆくの道なり狂気にもなる道だ電車と自働車とに埋るるの道なり道は正直なり

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人間が人間のたましひ…第七章 空と屋根とのあな

人間が人間のたましひの踏み潰されるところだ太陽と月光との道でありわれと君との道でありむしけらの道でもあるときにふるさとの愛あきらかに夏はその道の上に落ちる母と父と愛の湧くところの道だ酒場酒場にゆけば月が出る犬のやうに悲しげに吼えてのむ酒場にゆけば月が出る酒にただれて魂もころげ出す街にて引き摺られ息窒まりつつきんきんと叫びを立てさうらうとしてわれ歩ゆむしめやかに雨ふる街を眺め昂ぶり

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第八章 凍みたる手を温め
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凍みたる手を温めんと…第八章 凍みたる手を温め

凍みたる手を温めんとしてさうらうとしてわれ歩ゆむわが天鵞絨の服は泥をもて汚されわが靴はかなしげに鳴りれいらくの汚なき姿をうつす雨そそぐ都の街の上を髪むしりつつ血みどろに惨として我あゆむ夏の国夏は真蒼だまだ見もしらぬ国国の夏はしんから真蒼だわが生れわが育てられたるの国加賀のくに金沢の市街ゆうゆうと流るる犀の川川なみなみに充ちするどく魚ははしるああ その岸辺にをみなごの友もゐるけふ東京は雨

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いちにち座してこひし…第八章 凍みたる手を温め

いちにち座してこひしさにみどりの国のこひしさに二つの瞳孔われ生きて佇てる地の上われとともに伸びる遠き瞳孔しんとして輝きわたる瞳孔はるかなり唯とほくして消えむとする二つの瞳孔悲しみ窒息しぼうとして葱のごとき苦きものに築きあげられ輝やける二つの瞳孔あさぞら並木は蒼しあはれあしたのミルク手にとればいのちは光るきよみわたりし朝の空郊外にて畑についてのろのろと汽車はあるいてゐる麦となたねのだんだん畑

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汽車はのろのろあるい…第八章 凍みたる手を温め

汽車はのろのろあるいてゐるのんきな汽車である寂しき椅子いつも来て座る椅子にもたれ沈んで考へることが好だ日がくれるわたしは訪れてゆく寂しきその椅子のあるところに波うつ杯をしたひて永き夜をかくては送るいつはてるとなき深きいたみに十月のノオト時計は銀にあらざれば光らず、帆は布をもて金色を胎ましめざるべからず頭の垂がるやうな詩、深き精神のそこひより掻きのぼれこひしさにけぶりこもりて畑土に

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ゆめのやうに雪はきえ…第八章 凍みたる手を温め

ゆめのやうに雪はきえたわたしは君のてがみを食べてしまつたわたしは胃を悪くしたわれは海光を浴びたりもう雪が来た、どの山みても燻し銀沖にむかひ永く佇む沖より来る響、暗然として湧く力くもり日の光やすらふほとり朱き葉は走る上野の公園霊魂は珠根を深く庭園に埋めた、いつかは咲くだらうああ 総ての人間に涙あれ合掌その一坂はびろうど夕日炎炎坂はみどりの下り坂、夕は祈りの鐘が鳴るその二耶蘇は畑中ゆふぐれに

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われもゆふぐれ畑中に…第八章 凍みたる手を温め

われもゆふぐれ畑中に葱はおとろゆ夏の日に耶蘇はものいふわれもいふ畑はひかりて麦を吐き耶蘇はゆふぐれ畑中にわれもゆふぐれ畑中にその三かうべ垂れいまは緑を合掌すきびしき心となりみづからを責むる心となり主よ山のふもとにわれ住みてすこし衰ろへいまは緑の木木にその高きあたひにかうべ垂れ合掌すその四むしけらのごときひとみのけがれけがれしままけふは知る深きざんげのあたひを知るその五みやこに住めど

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心に繁る深き田舎の夏…第八章 凍みたる手を温め

心に繁る深き田舎の夏ぞ日を追ひては深むいつくしみある地の夏ぞその六ながれに向ひ釣を垂るみなそこふかくひそめるものに触れむとし祈るがごとく釣を垂る崖よりいまはなみだ垂れ魚介のあなたながれに感ず波のおもみはきたる肩の上に祈るがごとく釣を垂る

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