心には、理性の知らない独自の理由がある。それは何千ものことで知られている。神を感じるのは心であって、理性ではない。これこそが完全な信仰、心で感じる神なのだ。
🍿 Snack Point
人間は考える葦である。17世紀フランスの天才が遺した、今も心を揺さぶる断章たち。
人間は一本の葦にすぎない。自然の中でもっとも弱いもの。でも、それは考える葦だ。宇宙が総がかりで人間を押しつぶしても、人間は自分を殺すものより気高い。なぜなら、自分が死ぬことを知っているから。宇宙にはそれがわからない。
人間のあらゆる不幸はたったひとつのことから来ている。それは、部屋の中でじっとしていられないこと。
クレオパトラの鼻。もしそれがもう少し短かったら、世界の顔つきはすっかり変わっていただろう。
この無限の空間の永遠の沈黙が、私を恐れさせる。
人間とはなんという怪物だろう。なんという珍しいもの、なんという化け物、なんという矛盾のかたまり。すべてを裁く者でありながら、愚かな地の虫。真理の保管者でありながら、不確かさと誤りのどぶ。宇宙の栄光であり、くずでもある。
想像力がすべてを決める。美も、正義も、幸福も。つまり、この世のすべてを。
最後の幕はいつも血まみれだ。どんなに美しい芝居であっても。最後には頭の上に土をかぶせられる。それで永遠におしまい。
人間のすべての尊厳は、考えることにある。だから思考こそ、その本質において驚くべき、比類のないものなのだ。
神が存在するほうに賭けてみよう。もし勝てば、すべてを得る。もし負けても、何も失わない。だから迷わず賭けるべきだ。
人間は天使でもなければ獣でもない。しかし不幸なことに、天使のようにふるまおうとする者は、獣のようにふるまうことになる。
人間の偉大さは、自分が惨めであることを知っている点で偉大だ。木は自分が惨めだとは思わない。
人は安らぎの中に幸せを求める。でも安らぎを手に入れた途端、退屈が押し寄せてくる。退屈から逃れるために、また騒がしさを求める。
王から百姓まで、退屈しのぎをしているだけだ。ただしその方法が違うだけ。
正義が何であるかが分からない。力はすぐ分かる。だから人は力を正義と呼んだ。
なぜ私に従うのか。それは私が正しいからではなく、私が強いからだ。
想像力。それは人間の中にある、理性に敵対する支配者。誤りと虚偽の親玉。いつも嘘をつくなら見破れるのに、たまに本当のことを言うからたちが悪い。
習慣は第二の天性であり、天性を破壊する。天性もまた、最初の習慣にすぎないのかもしれない。
三度緯度が変われば、法律のすべてがひっくり返る。子午線ひとつで真理が決まる。滑稽な正義だ。川の向こうでは悪いことが、こちらでは正しい。
「私」は憎むべきものだ。他人に迷惑をかけるから。でも本当に「私」を消せたら、もう愛する対象がなくなってしまう。
みんな「私」が嫌いだ。でも自分の「私」だけは好き。だから他人の自己愛だけが目につく。
神を感じる者と、まったく感じない者がいる。どちらが不幸かは明らかだ。でもどちらが間違っているかは、まだわからない。
信仰とは、神を心で感じることだ。証明ではなく。これが信仰というものだ。
物事の順序。幾何学が最初に来る。それは正しい。しかし幾何学では人の心は動かせない。
本当の雄弁は、雄弁をばかにする。本当の道徳は、道徳をばかにする。つまり、判断力の道徳は、ルールのない道徳を笑うのだ。
虚栄心は人間の心にあまりにも深く根ざしている。兵士も、従卒も、料理人も、人夫も、みな自慢し、崇拝者を持ちたがる。
人間は嘘で固められている。他人に対しても、自分に対しても。本当のことを言われたくないし、本当のことを言いたくもない。
最後の場面だけが、芝居全体に意味を与える。死の瞬間が人生を決める。
人はみな死に向かって走っている。ただ前を見ないようにしているだけだ。
人はみな幸せになりたがっている。例外はない。方法がどんなに違っても、みなこの目的に向かっている。戦争に行く者も、行かない者も、同じ欲望からだ。