徒然草

✦ スナック翻訳版

吉田兼好 · 0/52

Snack Point

✦ 700年前の「あるある」が今も刺さる。兼好法師の鋭い人間観察エッセイ。

✦ 鎌倉末期〜南北朝時代に書かれた随筆。全243段、人生訓から恋愛論、失敗談まで。

✦ 「つれづれなるままに」書かれた、日本三大随筆の一つ。

目次

底本情報

公開: 青空文庫
底本: 「現代語訳 徒然草」河出文庫、河出書房新社
初出: 1330年頃
章構成: 章番号は原文準拠(章タイトルはSnackReadが独自に付与)

✦ スナック翻訳版について

原文に忠実なAI翻訳・現代語訳版です。原文/翻訳の切り替えができます。学術的な正確さを保証するものではありません。

※AIによる翻訳・現代語訳版
序段 つれづれの心
序段 つれづれの心1/9

することもなく退屈なまま、一日中硯に向かって、心に浮かんでは消えるとりとめもないことを、なんとなく書きつけていると、妙におかしな気分になってくる。

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序段 つれづれの心2/9

さて、この世に生まれたからには、願わしいことは多いだろう。天皇の御位はあまりに恐れ多い。皇族の末裔まで、人間の種とは違って高貴である。摂政・関白のご様子は言うまでもなく、普通の人でも、舎人などを賜る身分の者は立派に見える。

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序段 つれづれの心3/9

何事にも優れていても、恋を知らない男は、とても物足りなく、底のない玉の杯のような気がする。露や霜にぬれながら、あてもなくさまよい歩き、親の忠告も世間の非難もかまわず、心に思うことだけを優先して、物思いに沈んでいるのは、実にしみじみとした風情がある。来世のこともまた、心に忘れず、

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序段 つれづれの心4/9

化野の露が消える時もなく、鳥辺山の煙が絶えることもなく、ただ生き続けるだけの習いだったなら、どうしてしみじみとした情趣があるだろうか。世の中は定めがないからこそ素晴らしいのだ。命あるものを見ると、人ほど長生きするものはない。かげろうが夕暮れを待たず死に、夏の蝉が春秋を知らないのもあるのだ。

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序段 つれづれの心5/9

することもなく、ぼんやりと日を暮らして、「はかないことだ、今日も暮れてしまった」と常に思う身なので、一日のうちの出来事も変わることなく過ぎ去っていく。

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序段 つれづれの心6/9

世の中でその当時は比べるものもないほどと思われた人も、時とともに移り変わる世の有様を見るのは、まことにしみじみとしたものだ。死んでしまった後には、金も玉も何の役に立つだろうか。

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序段 つれづれの心7/9

十月のころ、栗栖野というところを通り過ぎて、ある山里に尋ね入ったことがあった。はるかに続く苔むした細道を踏み分けて、心細く住んでいる庵がある。木の葉に埋もれた筧の雫のほかには、まったく音を立てるものがない。閼伽棚に菊や紅葉などを折り散らしてあるのは、やはり住む人がいるからこそだ。

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序段 つれづれの心8/9

こんなふうにも暮らせるものだと、しみじみ見ていると、向こうの庭に、大きなみかんの木が枝もたわわに実をつけているのを、まわりを厳重に囲ってあったのには、少し興ざめして、この木がなかったらよかったのにと思ったことだ。

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序段 つれづれの心9/9

一人、灯火のもとで書物を広げて、会ったことのない昔の人を友とするのは、この上なく心が慰められるものだ。書物は『文選』のしみじみとした巻々、『白氏文集』、『老子』の言葉、『荘子』の篇。この国の学者たちが書いたものも、古いものにはしみじみとすることが多い。

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序段 つれづれの心

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第二段 風雅のこころ
第二段1/10

花は満開の時だけ、月は雲のない時だけを見るものだろうか。雨に向かって月を恋しく思い、簾を垂れこめて春の行方を知らないのも、やはりしみじみと情趣深い。咲きそうな梢、散ってしおれた庭などこそ見どころが多い。

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第二段2/10

何事も月を見ることで、慰められるものだ。ある人が「月ほど面白いものはあるまい」と言ったのに、もう一人が「露こそなおしみじみとするものだ」と争ったのは趣があった。折にふれれば、何がしみじみとしないことがあろうか。

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第二段3/10

季節が移り変わることこそ、何事にもしみじみとするものだ。「もののあわれは秋こそまさる」と誰もが言うようだが、それもそのとおりだけれど、いっそう心が浮き立つのは、春の景色ではないだろうか。

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第二段4/10

鳥の声もことのほかに春めいて、のどかな日差しの中、垣根の草が芽を出すころから、しだいに春が深まって霞がわたり、花もだんだんと咲き始めるころこそ、世のしみじみとした思いも、ものの情趣もおのずと感じられるものだ。

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第二段5/10

五月、菖蒲を軒にさすころ、早苗を取るころ、水鶏が戸を叩くように鳴くのなど、心細くないだろうか。六月のころ、粗末な家に夕顔の白い花が見えて、蚊遣り火がくすぶっているのもしみじみとする。六月祓もまた趣がある。

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第二段6/10

九月二十日のころ、ある方にお誘いいただいて、夜が明けるまで月見をして歩いたことがあった。ふと思い出される場所があって、案内させて中にお入りになった。荒れた庭に露が深く、わざとでない花の香りがしっとりと漂い、人目を忍ぶような気配がたいそうしみじみとした。

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第二段7/10

雪が美しく降った朝、ある人のもとへ用事があって手紙を出したが、雪のことに何も触れなかった。その返事に「この雪をどうご覧になるかと一筆も書いてくださらないような、情趣のない方のおっしゃることを、聞き入れるものですか」と言ってきたのは趣があった。

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第二段8/10

家の造り方は、夏を中心に考えるべきだ。冬はどんな場所にも住める。暑いころ、悪い住まいは耐えがたいものだ。深い水は涼しげではない。浅くて流れているほうが、はるかに涼しい。

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第二段9/10

教養のある人が話をする時は、大勢いても一人に向かって話すもので、自然と他の人も聞いている。教養のない人は、誰にともなく、大勢の中で話す。

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第二段10/10

何事も昔の世ばかりが懐かしい。今のものは次第にいやしくなっていくようだ。あの木工の匠が作った美しい器も、昔の形のほうが趣がある。文章の言葉なども、昔の反古を見ると比べものにならない。

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第二段 風雅のこころ

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第三段 人の愚かさ
第三段1/10

仁和寺にいたある法師が、年をとるまで石清水八幡宮を参拝したことがなかったので、残念に思って、ある時思い立って、たった一人、歩いて参詣した。極楽寺・高良神社などを拝んで、これだけのことだと思って帰ってきた。

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第三段2/10

そして仲間の人に会って、「長年の念願を果たしました。聞いていた以上に尊いお社でした。ところで、参拝した人がみな山へ登っていたのは何事があったのでしょう。気になりましたが、神様に参るのが本来の目的だと思って、山までは見ませんでした」と言った。ちょっとしたことにも、案内者は欲しいものだ。

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第三段3/10

これも仁和寺の法師だが、子供が法師になるお別れの宴で、みなそれぞれ芸をして遊んでいた時、酔って興に乗るあまり、そばにあった足鼎を取って頭にかぶったが、つかえるようになるのを、鼻を押しつぶして顔を突っ込み、踊り出たところ、一同大いに盛り上がった。

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第三段4/10

しばらく踊ってから抜こうとしたが、まったく抜けない。宴会は白けてしまい、どうしようかと途方に暮れた。あれこれするうちに首のまわりが傷ついて血が出て、ただ腫れに腫れあがり、息も詰まったので、打ち割ろうとしたが簡単に割れない。響いて耐えがたいので、どうしようもなくなって、

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第三段5/10

高名の木登りと言われた男が、人に指図して高い木に登らせて枝を切らせていた時、とても危なく見えるうちは何も言わず、降りる時に軒の高さほどになって、「しくじるな。気をつけて降りよ」と声をかけたのを、 「過ちは、簡単なところになって必ずするものでございます」と言った。身分の低い者ではあるが、聖人の戒めにかなっている。蹴鞠も、難しいところを蹴り出した後、簡単だと思うと必ず失敗するということだ。

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第三段6/10

丹波に出雲という所がある。出雲大社を勧請して立派に造ってある。しだの何某とかいう人が治める所なので、秋のころ、聖海上人がその他にも大勢の人を誘って、「さあ行きましょう、出雲を拝みに」と言って連れて行った。それぞれ拝んで、気品があり素晴らしいと思っていると、並べてある狛犬が、

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第三段7/10

と涙ぐんで、「皆さん、この殊勝なことをご覧にならないのか、ひどい」と言うので、それぞれ不思議に思い、「本当に他とは違っている。都への土産話にしよう」などと言った。上人はなおも知りたがって、物知りそうな顔をした年配の神官を呼んで、「このお社の獅子の立て方は、

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第三段8/10

と言って近寄って据え直して行ってしまった。上人の感涙は無駄になってしまった。

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第三段9/10

八歳になった年、父に尋ねて言った。「仏とはどのようなものですか」と。父が答えた。「仏とは、人がなったものだ」と。また問うた。「人はどうやって仏になるのですか」と。父はまた「仏の教えによってなるのだ」と答えた。

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第三段10/10

また問うた。「教えてくださった仏を、何が教えたのですか」と。また答えた。「それもまた先の仏の教えによってなったのだ」と。また問うた。「その教え始めた最初の仏は、どのような仏だったのですか」と言った時、父は「空から降ったのか、地から湧いたのか」と言って笑った。

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第三段 人の愚かさ

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第四段 世渡りの知恵
第四段1/10

よい友人に三種類ある。一つは物をくれる友。二つ目は医者。三つ目は知恵のある友。

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第四段2/10

悪い友人に七種類ある。一つは身分が高く立派な人。二つ目は若い人。三つ目は病気がなく体の丈夫な人。四つ目は酒好きな人。五つ目は勇猛な武士。六つ目は嘘をつく人。七つ目は欲の深い人。

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第四段3/10

特に用事もないのに人を訪ねるのは、よくないことだ。用事があって行っても、その用が済んだら早く帰るべきだ。長居するのは、とても煩わしい。

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第四段4/10

人に何かを聞かれて、知らないのにいい加減に知っているふりをするのは、自分自身の恥ではないか。知っていることでも、なお確かにと思うなら、「覚えておりません」などと言ってやめるのは、かえってまさった態度ではないだろうか。

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第四段5/10

世間に従って生きようとする人は、まずタイミングを知るべきだ。タイミングの悪いことは、人の耳にも逆らい心にも合わなくて、うまくいかない。そのような場の空気を心得るべきだ。

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第四段6/10

ただし、病を受けること、子を産むこと、死ぬことだけは、タイミングを計ることができない。時期が悪いからといって止めることはできない。生住異滅の移り変わりという本当に大事なことは、激しい川がみなぎり流れるようなものだ。少しもとどまらず、まっすぐに進んでいくものだ。

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第四段7/10

だから、仏道にせよ世俗にせよ、必ずやり遂げようと思うことは、時期をうかがうべきではない。あれこれ準備せず、足踏みしてはならない。

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第四段8/10

人が語り出した歌物語で、歌がへたなのは残念なことだ。少しでもその道を知る人は、とてもうまく話したとは思わないだろう。

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第四段9/10

大事を思い立った人は、手放しがたく心にかかることがあっても、その本意を遂げられなくても、それにかまうべきではない。「しばらく、この事が終わったら」「同じことなら、あの事を片づけてから」「あれこれのこと、人に笑われないだろうか。将来問題なく、こうなってから」などと思っていたら、障害が絶えず、

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第四段10/10

だいたい聞き苦しく見苦しいことがある。年寄りが若者に交じって、面白がらせようと話しているの。取るに足らない身分で世間に評判の人をなれなれしく言うの。貧しい家で酒や食べ物を好んで人にふるまおうとするの。

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第四段 世渡りの知恵

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第五段 道を究める
第五段1/10

芸を身につけようとする人は、「まだ上手でないうちは、なまじ人に知られまい。内々でよく習い覚えてから披露したほうが、奥ゆかしいだろう」と常に言うようだが、こう言う人は一芸も習い覚えることがない。

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第五段2/10

まだ未熟なうちから上手な人の中に交じって、けなされ笑われても恥じず、平気でやり過ごして稽古を続ける人は、たとえ天性の才能がなくても、道にとどまらず、いい加減にせずに年月を過ごせば、才能があっても稽古しない者より、最終的には上手の域に達し、徳を積み、人に認められて、並ぶもののない名声を得ることになる。

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第五段3/10

天下の名人といっても、初めは下手だという評判もあり、ひどい欠点もあった。しかし、その人が道の掟を正しく守り、これを重んじて放縦にしなければ、世の第一人者となり、万人の師となることは、どの道も変わらない。

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第五段4/10

城陸奥守泰盛は、双六の名手であったが、ある人に双六の上手な打ち方を教えたのは、「勝とうと打ってはいけない。負けまいと打つべきだ。どの手が早く負けそうかを考えて、その手を避けて、一目でも遅く負ける手を選ぶべきだ」と言ったとか。

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第五段5/10

ある者が、息子を法師にして、「学問をして因果の道理を知り、説経などをして生計を立てよ」と言ったところ、教えの通り説経師になるために、まず馬に乗ることを習った。

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第五段6/10

輿も車も持たない身で、導師として招かれた時には馬で参上しようと思ったのだ。次に、法事の後に酒をすすめられることがあるだろうが、法師がまったく芸がないのは興ざめなので、早歌というものを習った。二つの技がだんだん上達してくると、ますますうまくなりたくなって稽古に励むうちに、

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第五段7/10

この法師だけではなく、世間の人は皆このようなことがある。若いうちはいろいろなことについて身を立て、大きな道を成し遂げ、芸も身につけ、学問もしようと、将来のことをあれこれ心にかけながらも、世の中を気長に考えて怠けてしまい、まず目の前のことばかりに時を費やして、

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第五段8/10

退屈でたまらないという人は、いったいどういう心なのだろう。何にも紛れず、ただ一人でいるのがよいのだ。世間に従えば、心は外の塵に奪われて迷いやすく、人と交われば、言葉は他人の聞こえに合わせるようになって、すべてが自分の本心ではなくなる。

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第五段9/10

何事も万事整っているのはよくないことだ。やり残したものをそのままにしておくのが面白く、長続きする秘訣だ。内裏を造営する際にも、必ず造り終えないところを残すのが、先人の戒めだとかいう。

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第五段10/10

まず義を知ってから後に勇を学ぶべきだ。もし力にまかせて人を殺したら、殺すべきでないところで殺すこともあるだろう。よく心がけて自分の身を全うすべきだということだ。

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第五段 道を究める

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第六段 生死のあはれ
第六段1/3

死は前からやって来るのではなく、いつの間にか背後に迫っている。人はみな死があることを知っていて、それを待つのだが、さほど切迫しているとは思わないうちに、不意にやって来る。沖の干潟ははるか遠くに見えるが、磯のほうから潮が満ちてくるようなものだ。

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第六段2/3

だから、人が死を憎むなら、生を愛すべきだ。生きていることの喜びを、日々楽しまないでいられようか。愚かな人は、この生きている喜びを忘れて、むやみに別の楽しみを求め、この生きている財産を忘れて、危うく他の財産を貪る。そんなことでは、志が満たされることはない。

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第六段3/3

生きとし生けるもの、いったいどれが最後に死を免れるものがあるだろう。だから人の世ははかないものだとわかれば、来世のことも頼もしく思える。つれづれなるままに、このように書きつづったのは、せめてもの遊び心からである。

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